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第三回 尺八リサイタル『寂静光韻Ⅲ』2020

更新日:2023年6月29日

 このコロナ禍の大変な時期ではありますが、リサイタルを開催する事に致しました。様々な困難・苦悩の中 吹きつがれてきた尺八本曲が、みなさまの心を開放し 鎮める一助になればと思い、精一杯演奏させて頂きます。また今回は2年前より続けてきた、「"古典本曲"に挑むリサイタルシリーズ」3部作の完結編となり、同時にCD『寂静光韻Ⅲ』も発売いたします。さらに、博多の虚無僧寺「一朝軒」の第22世看主磯玄明先生をゲストにお迎えし、海童道祖-横山勝也師の伝えた本曲の源流を探ります。




【タイトル】 第三回 小濱明人 尺八 リサイタル「 寂静光韻 Ⅲ」 【開催日】   2020年10月20日(火) 【場 所】   東京都 千代田区 紀尾井小ホール 【演奏曲目】 1、瀧落

2、根笹調・下り葉

3、雲井獅子

4、息観

5、浮雲

6、鹿之遠音

7、霊慕 【出演者】 小濱明人(尺八) 【特別出演】 磯 玄明(尺八/普化宗 一朝軒 第二十二世 看主)


 

パンフレットへの寄稿文①/志村哲(大阪芸術大学教授、地無し尺八吹奏家、ピリオド楽器研究家)


令和の尺八新世代を寿ぐ


 本日、ご来場の皆様とともに、新時代の幕開きに立ち会えますことをお慶び申し上げます。小濱明人さんは、この3年間の取り組み「寂静光韻」の完結編としてこのリサイタルを世に問われます。私は、同タイトルのCD三部作の解説を担当させていただきましたが、その間に、氏とは国内外のフェスティバルやシンポジウムでも同席した経験から、その想いが募ります。なぜならば、氏は古典本曲や古代、中世の尺八に縁の地へ赴き、自己の尺八伝承の在り方を問い続けられていることを知ることができたからです。

 令和2年は、我々、尺八実演家に取りましても、さまざまな困難に遭遇する特別な機会となりましたことを永遠に忘れることはないでしょう。私たちは、様々な不安はあるとしましても、これまで音楽も演奏の場も有って当然のものとして、そこでのいとなみが続けられることについては、何の疑いも持っていませんでした。ところが、ある日、突然、それが不確かなものであったことを思い知ることとなったのです。

 そのような状況下にあっても、小濱さんの姿勢は揺らぎのないように感じられます。そして「寂静光韻 Ⅲ」で取り上げられた本曲の幾つかは、尺八音楽の継承において非常に高度な認識と解釈が求められるものが並べられています。

 終わりに拙い私見を述べさせていただきます。20世紀後半の高度経済成長とともに巨大化した産業音楽は、いま、そのままのかたちでは行き場をみつけることが困難な状況にあります。私は、それより少し以前の時代の古典尺八のような「祈りの音楽」の実践が、世界に妙なる出来事をもたらすと思います。その意味で、今回、禅僧である磯玄明一朝軒ご住職のご出演が叶ったことが、国際的尺八新時代の幕開きに大きな力となると夢想いたします。


 

パンフレットへの寄稿文②/清庵 酒井玄心(明暗寺42世看首)


古典本曲3部作完結編を祝って』

~次なる小濱明人に、さらに期待~


 自ら「尺八の神髄」と位置付け、長年情熱を注いできた古典本曲の集大成とも云える小濱明人リサイタルが第3回完結編を迎えるといいます。誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。これまでの成果の凝縮された極みを披露されることと大変楽しみに致しております。

 さて、今回は世界的なコロナ禍の中、一時は開催も危ぶまれ本人も悩まれたことと思いますが、よく予定通りの開催に漕ぎ着けられました。敬服の至りです。これは彼の今回に懸けた並々ならぬ思いによるものでしょうし、一旦やると決めたらどんな困難も乗り越えていく逞しさと突破力の為せる業と言ってもよいでしょう。

 彼の尺八に対する探求心は、源流を遡り、江戸時代の虚無僧尺八、中世の一節切や鎌倉年間に中国から渡来した禅尺八、そして古くは正倉院御物の古代尺八まで、我が国への尺八伝来以降の確実な時間軸を捉え、演奏レパートリーの枠を広げ、技能を磨き、精神性を深めてきました。そのことは一昨年来のこのリサイタルでも証明されてきました。それを一応今回完結させ次のステージを目指すといいます。

 ご存じのように、彼は伝統的な古典本曲のみならず、それをベースに自作曲も試み、他楽器、グループとのセッションにもジャンルを超えた新たな創造的追求をしています。また活躍は国内に留まらず、海外公演も36か国に及ぶといいます。これまで各国で開かれた国際尺八フェスティバルや音楽祭にも招聘され演奏を行ってきました。来年はチェコでの尺八音楽祭の日本側コーディネートも任されていると聞きます。今や「世界の小濱」として積極的な活動を展開しています。

 さあ、彼の次なるステージは何を目指しているのでしょうか、目が離せません。彼には、伝統の基礎の上に立った尺八音楽の創造の可能性をさらに高め、広げられる確実な技量と意欲と情熱があります。そして各世代、国を超えた幅広い層に訴えかけるアピール力とスター性を十分持ち合わせており、今後の活躍が楽しみな尺八界の逸材と確信し、さらに期待しているところです。


 

パンフレットへの寄稿文③/石川利光(尺八演奏家)


小濱明人讃!


 小濱明人君は私の宝弟子の一人である。


 大学生の頃より私の稽古場に出入りし、大学のサークルでのジャズ・ギターと共に、尺八にも本格的に取り組んだ。卒業を控えたある日、彼から“尺八のプロになりたい”と聞かされた時には少なからず驚いたが、彼の人柄に加え、尺八に、そして音楽に向き合う姿に共感した私は、彼を全面的に支援してやろうという気持ちになった。

 大学を卒業後は上京し、アルバイトを重ねながら尺八の修行に打ち込んだ。その“夢の途中”には様々な苦労や試練もあったろうことは想像に難くない。しかし、そのようなことは私には一言も漏らさず、会えばいつもニコニコしていた。そして私の想像を遥かに上回るスピードとスケールで、若手・中堅の尺八演奏家のトップランナーの一人となった。

 現在の活躍ぶりは、彼自身のプロフィールに書ききれないほど多岐、多彩に亘り、見事と言う他はないが、何よりも私が彼に対して信頼を寄せるのは、上京して自分の世界を創り始めた頃から、目指す目標に向かう姿勢が全くブレないことである。

 新しいことに次々とチャレンジすると同時に、古典をしっかりと継承する姿は立派というほかはない。古典曲のみでのリサイタル開催、そしてCD制作、どちらも勇気と決断が要求されることである。それを3年連続で成し遂げるという小濱明人君の快挙を心から祝したい。



 

「寂静光韻Ⅲ」コンサートレヴュー/渡部晋也(舞台写真家・音楽ライター)


生き様と覚悟をみせつけた舞台


 コンサートや演劇、舞踊といった舞台芸術の現場に、観客は一体何を求めて足を運び、その出来不出来をどんなモノサシで計るのだろうか。解り易い答えの一つとして演者の技術があると思う。日常を忘れさせてくれるような舞台や、脳内に妄想世界を拡げてくれるような素晴らしい演奏も、その技術があってこそ実現できるはずだ。


 ところが、いくつかのジャンルではその常識が通用しないことがある。具体的に挙げるならフリーフォームによる演奏(便宜上フリージャズと呼ぶことにするが)や日本生まれの舞踏。現代舞踊など。こうしたジャンルでは技術の優劣がわかりにくいため、それが評価の主なモノサシになりにくい。勘違いをしないで欲しいのだけど、こうしたジャンルの表現者に技術は不要・無関係ということではない。優れた表現は技術を駆使することで生まれるし、結果として観る者の心に作用するということは当然のことだ。例えばフリージャズの演奏はしばしば「滅茶苦茶に弾いている」と思われがちだが、それは勘違いから生まれる誤った評価なのだ。


 尺八の、しかも古典本曲の演奏もまた、そういった部分を持っているように思う。昭和中期までは尺八の優劣を判断する耳を持っている日本人が今よりも多かっただろうが、現在「この演奏のどこが技術的にスゴイのか」と訊ねられても、我々(少なくとも筆者)は即座に答えるだけの知識を有していない。ただここでひっくり返して考えてみたい。そもそも古典本曲の善し悪しとは技術論だけで語られ、評価できるものだろうか。答えは否、だろう。普通の演奏や演技ならば大概お手本が存在し、まずはそれに近づくことが求められるが、古典本曲には明らかな正解はあるのだろうか。もちろんこれまでの名人先達による名演は存在するが、それをなぞったところで名演の再生は出来ないからだ。


 小濱明人が古典本曲に挑んだリサイタルを聴いてからというもの、ずっとこんなことを考えていた。さすがにこの夜、小濱が演奏した曲に優れた技巧が必要なのは素人の耳にもわかるが、尺八奏者ならともかく、筆者にはそれらがどこでどう使われ、そのレベルがどの程度かは評することが出来ない。ただ、小濱が奏する尺八の音に包まれながら、小濱明人そのものを全身で感じている気がしたのだ。尺八の魅力に惚れ込んで石川利光師に学び、技術を高めていった小濱は演奏者としての修練を積み重ねる一方で、小濱は四国88ヶ所の献奏(しかも歩き遍路をしながら)や流派を超えて尺八の源流を探るような研鑚を続けてきた。この夜の小濱の演奏はそんな彼が今まで辿ってきた道を、言い換えれば生き様を感じさせるものだった。


 また、この夜のリサイタルは2部構成だったのだが、第二部の「鹿之遠音」で磯玄明師を招く以外、小濱は一人きりで演奏した。そして前半は曲間に舞台から降りることは無く、舞台の中央に座したまま五曲を吹ききったのだった。そこには小濱の覚悟があったのだと思う。別にいちいち下がっても誰も咎めないはずだし、今時の考え方なら、曲の間に舞台から下がり一息つくのは、より良い演奏をするために必要だ、となるだろう。効率や合理性を考えれば当然そちらを選ぶだろうが、小濱はそれをしなかった(当然だが、小濱の精神的負担は相当なものがあったはずだ)。そんな覚悟もまた演奏に力を与えていた気がする。


 さて、そんな演奏を体験した我々はどうしたら良いか。ここまでの生き様を小濱がさらけ出し、それを目撃してしまったのだ。こうなればここから先も見つめ続けるのがその役目だろう。ここがまたはじまりのはじまり。これからどれだけの世界を見せてくれるのかが実に楽しみだ。


 

Akihito Obama "The 3rd Shakuhachi Recital"



I will hold a solo shakuhachi recital this year again. I was possessed by the charm of the shakuhachi, and I have been here led by shakuhachi. Once again I will face "HONKYOKU" that is the origin of the shakuhachi and I will challenge the diverse and deep world. Also,the special guest is Genmyo Iso sensei who is the 22nd director of Icchōken that the one of the most famouse komuso temple. This is the last one of my Honkyoku Trilogy Project!



[Date]

Tuesday, October 20, 2020


[Venue]

Kioi Small Hall


[Program]

1. Takiochi

2. Nezasaha-Shirabe・Sagariha

3. Kumoijishi

4. Sokkan

5. Ukigumo

6. Shika no Tōne(Icchōken den)

7. Reibo


[Artist]

Akihito Obama (Shakuhachi)

Special Guest : Genmyo ISO (Shakuhachi) from Icchōken #6

 
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